八代の地名の由来
天正十年(1582)、占いを生業とする家の八代目の道海という人が、当時の城主通重からこの地をもらって住んだと言う事から「八代村」と名付けたと言われている。
北八代の名称
慶弔十六年(1611)、この頃の絵図に初めて「北八代」の名前が登場する。
江戸時代の八代
寛保二年(1742)の村明細帳によれば、大体こんな村だったようです。
- 村高(経済力):156石2斗6合(南八代村は585石)
- 田畑の面積:約9町歩(9ヘクタール)
- 軒数:12軒
- 人口:64人
- 牛:2頭
南八代との合併
明治14〜5年頃の、行政区画の変遷とともに合併が行われ、「八代村」が誕生した。当時は、兵庫県飾東郡八代村と呼ばれた。
城北村
明治22年から町村制になり、広峰山・平野・大野・伊伝居・八代・山野井の各村をまとめて「城北村」となる。
住所は、兵庫県飾東郡城北村ノ内大字八代村**番地
姫路市との合併
大正14年4月1日姫路市と合併。姫路市八代となる。
戦後自治会の誕生
昭和26年頃にはすでに自治会が誕生していてようです。
参考文献:「ふるさと八代 上巻」ふるさと八代編集委員会編(1994年版)
